休職中小話②やりたいことは必要?
何にもないってこわいよ
休職中どうしても仕事がしたくなくて、学問的なことは一切シャットアウトした。
自分の家に関連する本や紙があるのが嫌でブックオフに売り払い、シュレッダーにかけてすべてを捨てた。
さて、こうなったときに自分がどうやって今後仕事にしていこうか考えた時に、自転車するのも今は違うし、別のことを今すぐ始めるのって当時はめっちゃ気分が乗らなかった。
このまま一生これではいかんだろう。
というか、休職して一番強く心に残っているのが、やることがある毎日というのはなかなかに楽しい。
むしろ目的や意味のない毎日、ましてやお金のない生活というのは私にとって耐えられない。
この考え実はフローレンス・ナイチンゲールと似ていることが、読書をしていて気づいた。
そんな生活を1か月送ってみると気が狂いそうになった。お金もありませんでしたし、これから普通に生活することをまず当面の目的でもいいじゃないかと設定した。
一番楽な道は復帰すること。それは以前のようにがむしゃらにやるとか無計画なところや無責任なところのままではいけないと思った。
だからこそ毎日図書館にいくときもあったし、いろんな映画やアニメ、曲、様々な分野の本をとにかく読んで吸収した。
時に読書というのは非常に勉強になるのだが、読書をなんのためにしているのかわかっている人はどれくらいいるんだろう。
こういう情報や考えがほしいこの著者は自分には響かない。考え方は」共感できるなど、自分という軸があっては初めて実読書というのは役に立つと思う。
小説はもう世界観とか純粋な作品を楽しむだけでいいだろう。
自分軸とか勝手に就活みたいなことを言ったが、自分がしたいことを自分で許してあげることが必要だと思うぞ。周りの状況抜きにして。
いうのも思うのも行動するのも自分でできるでしょう。
何がしたい、何を達成したい。感情や欲求をもっと出していいと思うぞ。
「物事は一番想いの強いもので決まる」という格言もあるしな。
脱線したがとにかく「自分で学んで判断してやりたいことを行動する」という基本的な人権が回復してからは、敬遠していた自分の仕事にも少しづつ向き合えるようになった。
今では論文を読んだり、今週のテーマを決めてまとめたりできるようになってきた。
もし、今のポジションや組織、人間関係がなければ、少しの勇気がなければ人生は最低限の生命活動の為にしかなく、モノクロの無風で無音の冷え切ったものになるであろう。
そこに生きる意味はない。ただ生きて死ぬだけだ。