「最近、乗ってる?」

自転車クソブログ

TUSCCお世話になりました。

8/31付で出身サークルである東京理科大学野田サイクリング同好会(以下チャリ部)が解散となりました。


寂しい気持ちもありますが、それは仕方のないことなのだと妙に納得している自分がいることに少し驚きました。


誰だって解散したくてしたわけではないでしょう。チャリ部のOBであれば誰しがそうではないかと思います。
コロナ禍における活動の制限やそれに伴う運営機能の不全などいろんな理由があると思いますが、そのような決断をした現役生たちに最大限の労いの言葉を送ろうと思います。


ここでは私自身の経験を踏まえあくまで当時(2009-11)の思い出話を供養として綴ります。自分なりのお気持ち表明ですが、OBの酒の席のくだらない話だと思って聞いてください。


入ったきっかけ

大学生になったら旅がしたいという理由だけでチャリ部の新歓に参加したのが始まり。


KZYさんとかつやさんにとりあえず名前書いて新歓に来ようとブースで誘われたのがきっかけでした。


たくさんの人がいて楽しそうだったし、目的は達成されそうだからいいかなと思って加入する気になりましたが、それよりも先輩方が面白すぎて圧倒されてましたね。


なかでもJrさんの隣でランの話を写真で話してくれたり、もっちーさんのスイス自転車旅の話で完全に心を掴まれました。新入生の勧誘は大成功でした。
ここなら楽しいサークル活動が送れると直感的に感じた瞬間でもありました。


自転車ライドとイベントの二輪駆動

チャリ部は人数が多い。各学年40人前後いたので全体で100人以上のマンモスサークルでもありました。
自転車のサークルでしたが活動内容は月に一回サイクリングに行くのと、春、夏の長期休みに合宿があるのが基本でした。
それ以外にはいろんなイベントがあり、自転車講習会、パスタ会、飯炊き、プレ合宿、サンマ会、マラソン会、理大祭などが公式でありました。
そうするとほぼ毎週末に何かしらチャリ部のイベントがあったので全部参加しているとそれだけで3年間終わりましたw


特に4-5月は活動が密集していて忙しかった記憶があります。
自転車講習会は座学(走行ルール、手信号実演、輪行実践)、練習(サイクリングロードを走る)。
メット会は新入生向けに自転車用のヘルメットを上野のワイズロードまで買いに行ってました。事前に連絡をしておいて、混雑してしまうので二班に分かれたり。そのあとは上野公園でハンバーガー食べてたり。
GWは干からびランや個人ラン、その次の週は大島新歓合宿。
そして筑波TT(往復120kmで峠を上る)、アタック合戦も楽しかったなぁ。


当時あるあるだったのはこのあたりでサークルに来る来ないが分かれてました。
特に自分の自転車を持っている人は来なくなる傾向にあったことを思いだした。


平日は部倉庫や部室に行けば誰かしらいたし、夜はそのまま飯食ったり飲み会が始まっていましたね(いま部ノート見返したら恥ずかしくて死ぬんだろうなぁ)。


月例ランは輪行で遠出して関東近辺を走るワンデーのサイクリング。
自走で集合地点に行く者もいて、60kmのサイクリングの為に80km自走とかざらでしたねw


夏合宿は信州、北海道、東北を年度ごとに一週間キャンプツーリングするというものでした。
同じノリで集合地点まで自走するとかというのもありましたね。
当時は橋の下とか運動公園の片隅で野宿とかやってたのはやはり学生ならではの行動だったなぁと。今ならキャンプ場で酒飲みたいもん。


11月に入ると引退ランや理大祭でいっきに忙しくなりサークルの公式活動もほとんどなくなり、単位をかけた戦いに入る。そして有志でご来光ラン行って冬合宿があったりして3月に春合宿をして新歓準備をして4月になる。


このように充実した一年を送ることになり、実際とても楽しかった。
チャリ部の人たちと一緒に過ごした時間は長く濃厚だったと改めて気づかされる。


このようにチャリ部は自転車乗りつつ、自転車以外のイベントもするという稀有なサークルだったのではなかろうか?
部活動ではないので参加に関して強制力はなく参加はメール一本で終わりが多かった。
(レポートや課題があるので参加はまちまちにならざるを得ない人が多い)


イベント担当や役職は担当者が決まっておりチャリ部二年目がメインで運営することになっていましたので、粗相がないようにするのはとても苦労したと思います。


自転車とイベントという二輪をサークルメンバーと運営で動かすというある意味自転車になぞらえた活動だったと今になって思う。


チャリ部で得たもの、失ったもの

得たものは多すぎて事細かには描けないが、あえていうなら。
「かけがえのない思い出と友人、挑戦を恐れない心」


茶番大好き人間の自分からすると心の底から楽しかった、人生でこういう時間が過ごせたことは無形文化財でしょう。
チャリ部は一生の友達と先輩方から言われ続けた身からすると、社会人になり家族ぐるみでつながりがあるのはチャリ部が多いし、卒業後もOBのつながりを保っていられるのもこうしたチャリ部としての箱があったからだろう。


僕らの代は「やってから考える」という言葉が生まれたように、無垢なチャレンジ精神と困難な状況に対する適応性やサバイバル精神が養われました。
*余談だが似た言葉にキラッとプリチャンという女児向けアニメに「やってみなくちゃわからない、わからなかったらやってみよう」がある。言いたいことはわかるよな?


チャリ部の土壌でありサークルメンバーに流れる血みたいな、染まっていくような輸血されるような感じですかね。
「馬鹿なことを思いついてそれをやっちゃう、どうせもう二度とやりたくないと思うんだけどなんだかんだ達成しちゃってつらい記憶が抹消されて達成した記録や面白かった記憶だけ残って病みつきになっていく。」


このサイクルが圧倒的に多かったんだと思う。一人ではくじけそうなことも周りがいるから頑張れるとかそういう感じ。それを体現しているのは干からびランだと思う。


みんながみんなそうではないけれど、それでもお互いにゆるーく楽しんで、馬鹿したい奴は集まってやる。すごいのはそれを誰からも指示されておらず、自主性の塊で草なんだよなぁ。
そんな混然一体が当たり前だったのが懐かしい(懐古厨乙)。社会人になるとほとんどそういう空間に出会ったことがないですね。家族や仕事を含めた生活の優先度が高くなるから当然といえば当然でしょう。大学生のサークルの特権は自分のやりたいことを最優先でできるということでもあります。


つくづくそんな風土のあったチャリ部がなくなってしまったことが悲しい。
もしかしたら自分が変わるきっかっけになれたり、一生残るような愉しい思い出ができて、結婚するひともいたかもしれない。
老婆心ながらそんなことを考えてしまうのは、やはりチャリ部が楽しかったからだろう。


最後に

現役の時の思い出話もしたが、引退してOBになってからも楽しいのがチャリ部の魅力でもある。
社会人になってからの付き合いというのは学生の時とはちょっと違うものだったりする。
昔の話で盛り上がったり、自転車や飲み会で愉しく過ごせるのも魅力である。
仕事家庭恋愛の話を気を置かずにできる間柄というのは人生にとって重要だ。


チャリ部無き理科大に、FBやTwitterを見てチャリ部を再興したいとするやつが出てきて、そういう学生とレースやツーリングで出会う。
その背中を暖かく見守る旧チャリ部OBなんていうのもアニメでありそうじゃん。
そういうのでいいんじゃないかと思う。


世は破壊と創造によって輪廻を巡るのが、個人的なものの見方なので。あんまり気にしてないのもそれが理由かもしれない。



現役生は困難な時代に数多の無念を抱えてきたと思う、今まで本当にお疲れさまでした。



暑くなってきたな…団結が始まる。


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